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なんだろうなぁ。

最近、今の自分には芯がないなと気付いた。


あると思ってた頃の自分を思い返すとショボいし若いなと思うけど、芯の内容どうのこうのよりもその頃はそれが自分の存在価値になってて、自信もあった。
今は当時よりも確実に真面目に、人には迷惑かけず、子どもを守るのに必死で生きてるのに、この虚無感はなにか。
結局中身が空っぽでも楽しいとか幸せとか頻繁に感じ、自らに対して疑問を抱くことなく暮らしてる人の方が上手く生きてるんじゃないか?

 

去年の抱負は『選択を間違えない』だった。
人生の転機になるような大きな選択って意味じゃなく、その日着る服とか食べ物とか化粧とか、むね肉ともも肉どっちにしよう、今日あった面白い話を今とご飯のあとどっちに話そう、とか。

くだらなく見えて実は全然くだらなくない。

もしなにかあったとき『あの時迷ったのに選択間違えたな』ってこじつけてしまうから。

選択するときって『こっちのほうが良い』と『こっちは良くない』という分かりやすい2つだと思うけど、真っ二つに分かれていれば迷うこともなく成功の選択ができる。

でも2つが入り混じってることがかなり多い。選択という時点で混じってるのは当たり前かもしれないけど、わたしはなぜか、良くない気がするまま選んでしまうことがあって、決まって後悔する。


そういう積み重ねが人生の充実度を左右する気がしてるから、少しでも違和感のあることはやめようと『選択を間違えない』を抱負にしたはずなのに、これが何故かなかなか難しい。妥協とは全然違う。

おにぎりとサンドイッチで迷って、食べながら『やっぱりおにぎりにすればよかった』って思うと張り合ってたはずのサンドイッチが一気に不味くなる。不味いものを食べているとそれは食ではなく餌になる。モチベーションが下がる。

こういうのが重なると、すぐにつまらない人生だなと思ってしまう。
だから選択は大事だし、人生は選択で出来てるとすら思ってる。
ならば選択してるということを意識しなければいいのだけど、それはかなり難しいしその後に対してあまりにも責任感がなさすぎる。

 

あとは存在価値について。
自分の存在価値さえ感じていればそれだけで虚無感はなくなるし、いい人生だと思う。
子どもたちは確実に自分を必要としているし、自分がいなければいけないという自覚もある。
存在価値に繋がらないのは自信がないから。だから返ってきたものに対しても『なにも大したことはしてない』となる。謙遜という意味ではなく、ただ自信がない。

もちろん育児に限ったことではないけど。

 

もしかしたら存在価値は、『自分はすごいことをした』っていう自己満足だけでも成り立つのかもしれない。もちろんそれが自己満足だと気付かずにいることが前提だけど。
もしかしたら自分は無意識のうちに見返りを求めて生きてるのかもしれない。
奉仕するだけで満足だという人もいるけど、それは奉仕の精神だけで成り立ってるわけじゃないと思う。相手が喜んでるという実感や自信があるから奉仕できる。

もっと単純に生きたいけど、それこそ責任感がないよなぁ。
答えはいつか出るかな。
んー早く出さないと。