擬音語

「ブングワンジャン、ブングワンジャン!」

 

ペットボトルの飲み物をコップに注ぐ音、

長男にはそう聴こえるらしいです。

 

注いでる最中に必ずいってくるのですが、

毎日毎日いわれるともうそう聴こえる気がしてきました。

毎回吹き出してしまいます。

 

もしも昔に、ブングワンジャンって聴こえる!って人がいたら、

それが浸透してコップに注ぐ擬音語はブングワンジャンになってたのかなぁ。

 

 

いや、絶対ないな。

おやすみなさい。

おバカな男子を見かけた

街中で5歳と8歳くらいの兄弟らしき男児がいて、

あまりに楽しそうだったのでちょっと観察してみた。

どうやらしりとりをしている様子。

どうしたらしりとりでそんなに盛り上がれるのか。

聞いていたらたまに下品な言葉が入って爆笑ってかんじだった。

男の子は単純で純粋でおバカだなぁ。と和んでいたら、

お兄ちゃんがいきなり「汚いものしりとりしようぜ!」といい出した。

 

以下汚いものしりとり↓

 

兄「うんこ!」

弟「子犬のうんこ!」

兄「子どものうんこ!」

弟「子羊のうんこ!」

2人「ぎゃははは!!!!うんこ終わらなーい!!!ヒー!!ぎゃははは!!!!」

 

バカだ。

でもずっとそのままのバカでいて(笑)

 

 

長男デー

今日は長男と2人で出掛けました。

昨日の反省もあり、可愛さ100倍増し。

行き先はいつもの支援センターだけど、心なしか息子も普段より嬉しそうに見えた。

 

バスで行くのですが息子は乗り物が大大大好き。

椅子には座らず先頭に立って、外のクルマと運転席を眺めるのが最近のお気に入りです。

「運転手さん、かっこいい。」

「赤です!まだですよ!」

「はい、青でーす!曲がりまーす!」

「赤い〇〇バスだ!すごい!」

ずっとはしゃいでいました。

 

途中何度もニコニコと笑いかけてくれた運転手さん。

降りるときに話しかけてくれました。

「バスが好きなんだねぇ!8月にバスのイベントがあるから良かったら来てね!」と。

めちゃくちゃ先だけど、絶対行こうね!

 

そして約束していたミスドに行き上機嫌でドーナツを食べ、

近くで子供服のバーゲンをしていたのでクルマ柄のシャツを買い、

これまた上機嫌で支援センターに向かいました。

 

今日はわたしと2人だからか、遊ぶ遊ぶ。

初対面の女の子とベタベタしてるときが一番楽しそうだったなぁ。

一人称が移って「わたしも滑り台する!」とか言っちゃってましたが。

 

楽しすぎたのか閉まる時間になっても全然帰りたがらなかったので、仕方なくおもちゃ屋さんに。

トミカを見て「持ってる、持ってない、持ってる、持ってる、持ってない」とぶつぶつ喋り、

展示している一輪車の車輪をひたすら回し続けるなど結構ヘビーでしたが、楽しかったです。

 

そして帰りのバスでも行き同様、先頭に立ちずっと喋っていました。

今度の運転手さんは「また乗ってねー!バイバーイ!」と、

すでに降りて外にいるのに、マイクを使っての声かけ!

すごい!わたしまでテンションが上がってしまいました。

 

帰ってからはいつも通り次男に嫉妬しイジワルをする長男でしたが、

久しぶりの2人きりの外出めちゃくちゃ楽しかったです。

 

寝る前にわたしがお菓子を摘んだのがバレて、

「なに食べてるの?」

と聞かれ焦ってしまい早口で「ごはんだよ!」と言ったのが聞こえづらかったらしく、

 

「え…クマ?」とドン引きしてましたとさ。

 

 

 

空っぽのお皿

今日は次男と出掛けた帰りのバスで、最近よく会うおばちゃんがイチゴを1パックくれた。

家でパパと待っている長男はイチゴが大好物。

 

長男は、とある理由で酷い偏食があり食べるものが極端に少ない。

毎日毎日大変だ。…大変というか、ほぼお手上げ。

 

今晩も何が食べたいか言わず、結局たい焼きしか食べなかった。

皮は全部残し、餡をこねて遊びながら数時間かけて数口だけ食べたあと、

「なんか食べたい。」といった。

 

出たよ。

「なんか食べたい」

 

目の前に食べ物があるじゃん。

なんで食べてくれないの。

食べたいと言ったものを作っても完食することなんてほぼ無い。

すぐに「もういらない。なんか食べたい。」という。

そして別のものを用意する。

また食べない。

これが1日に3回。いい加減にしてくれ。

 

でも今日は大好物のイチゴがある。

こんなときは精神的に少し楽だ。

 

「イチゴあるよ。食べる?」

「食べる!!!!!!!!!!!!!」

 

それはそれは大喜びだった。

お皿に数個のせて、長男の前に出した。

 

わたしは疲れ果ててそのままソファに座り込み、

一瞬でうたた寝した。

パパも同じくソファで寝ている。

次男もベッドでウトウトしていた。

 

「ママ、葉っぱどうぞ。」

 

「葉っぱなんかいらないよ。」

何度そう言っても葉っぱを取るたびに持ってくる。

イチゴの数だけそのやり取りを繰り返す。

 

疲れてイライラしていたわたしは「しつこいよ!」と怒ってまた寝てしまった。

 

起きたらお腹の上に、空っぽのお皿があった。

 

長男はわたしが起きたことに気づいて、

待ってましたといわんばかりの顔で「もっと!」といった。

わたしはあろうことか「なにがもっと欲しいかちゃんと言って。」と返してしまった。

 

分かってたのに最低だ。

「イチゴがもっと食べたいから、おかわりちょうだい。」って。

長男はそれ以降「もっと!」と言わなかった。

そしてそのまま寝る時間になり、寝かせてしまった。

 

分けてあげた葉っぱをいらないと言われどんな気持ちになったか。

家族全員が寝てる中、どんな顔して大好きなイチゴを食べてたのか。

どんな気持ちでわたしのお腹に空っぽのお皿を置いたのか。

おかわりを貰えず、どんなに悲しい気持ちでそのまま寝たか。

 

どうしよう、深く傷付けてしまった。

これをたった今思い出して気付いたということが母親として終わっている。

今から4時間も前のことなのに。

食べたがっている長男を自分が疲れているという理由で足蹴にしておいて、

偏食に参っているなんてよくも言えたもんだ。

明日起きたらすぐに一緒にイチゴを食べよう。

パパもお休みだから、4人でいっぱい食べよう。

 

ごめん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3歳息子の謎語録

・しんびん  →  私のグレーのズボン

・あんじんだん  →  顔同士をぴたっとくっ付けること

・あんだんじん  →  転ぶこと

・ディズニーモーターズ  → ディズニーランド

・ぴよっぽう  →  スリーパー

・ペテッテテボル  →  ペットボトル

 

 

ペットボトルだけまぁ分かる。

 

なんだろうなぁ。

最近、今の自分には芯がないなと気付いた。


あると思ってた頃の自分を思い返すとショボいし若いなと思うけど、芯の内容どうのこうのよりもその頃はそれが自分の存在価値になってて、自信もあった。
今は当時よりも確実に真面目に、人には迷惑かけず、子どもを守るのに必死で生きてるのに、この虚無感はなにか。
結局中身が空っぽでも楽しいとか幸せとか頻繁に感じ、自らに対して疑問を抱くことなく暮らしてる人の方が上手く生きてるんじゃないか?

 

去年の抱負は『選択を間違えない』だった。
人生の転機になるような大きな選択って意味じゃなく、その日着る服とか食べ物とか化粧とか、むね肉ともも肉どっちにしよう、今日あった面白い話を今とご飯のあとどっちに話そう、とか。

くだらなく見えて実は全然くだらなくない。

もしなにかあったとき『あの時迷ったのに選択間違えたな』ってこじつけてしまうから。

選択するときって『こっちのほうが良い』と『こっちは良くない』という分かりやすい2つだと思うけど、真っ二つに分かれていれば迷うこともなく成功の選択ができる。

でも2つが入り混じってることがかなり多い。選択という時点で混じってるのは当たり前かもしれないけど、わたしはなぜか、良くない気がするまま選んでしまうことがあって、決まって後悔する。


そういう積み重ねが人生の充実度を左右する気がしてるから、少しでも違和感のあることはやめようと『選択を間違えない』を抱負にしたはずなのに、これが何故かなかなか難しい。妥協とは全然違う。

おにぎりとサンドイッチで迷って、食べながら『やっぱりおにぎりにすればよかった』って思うと張り合ってたはずのサンドイッチが一気に不味くなる。不味いものを食べているとそれは食ではなく餌になる。モチベーションが下がる。

こういうのが重なると、すぐにつまらない人生だなと思ってしまう。
だから選択は大事だし、人生は選択で出来てるとすら思ってる。
ならば選択してるということを意識しなければいいのだけど、それはかなり難しいしその後に対してあまりにも責任感がなさすぎる。

 

あとは存在価値について。
自分の存在価値さえ感じていればそれだけで虚無感はなくなるし、いい人生だと思う。
子どもたちは確実に自分を必要としているし、自分がいなければいけないという自覚もある。
存在価値に繋がらないのは自信がないから。だから返ってきたものに対しても『なにも大したことはしてない』となる。謙遜という意味ではなく、ただ自信がない。

もちろん育児に限ったことではないけど。

 

もしかしたら存在価値は、『自分はすごいことをした』っていう自己満足だけでも成り立つのかもしれない。もちろんそれが自己満足だと気付かずにいることが前提だけど。
もしかしたら自分は無意識のうちに見返りを求めて生きてるのかもしれない。
奉仕するだけで満足だという人もいるけど、それは奉仕の精神だけで成り立ってるわけじゃないと思う。相手が喜んでるという実感や自信があるから奉仕できる。

もっと単純に生きたいけど、それこそ責任感がないよなぁ。
答えはいつか出るかな。
んー早く出さないと。

エアコン

今日は春の陽気というわりに、家の中は寒かった。

最近電気代が高いので朝9時ごろエアコンを消し、夕方になったらまた付けるようにしています。

付けっぱなしのほうが安いと聞いたことがあるけど約7時間も止めていればさすがにそれはないと信じたい。

 

そういえばエアコンについて日々思うことがあります。

誰にも言ったことないし言ったところで絶対に話が広がらない内容なのですが。

 

なんか「もし落ちてきたらどうしよう」ってエアコン見るたび毎回思うんですよね。

そしてかなりリアルにその惨状を想像してしまいます。

わたしはエアコンに頭を向ける形で真下に寝てるので、確実に頭が潰れます。

とある晩ラップ現象で起きて、寝ぼけて隣にいる息子の頭を庇ったこともあるくらい。

このくだらない謎の恐怖に支配されている状態、どなたか助けてくださいな。

 

あ、寝る前にこんなこと書くんじゃなかった。

おやすみなさい。